なんだかんだ
気がつけば、2023年が半分終わろうとしています
お天気あめでございます。
昨年末に産まれたわが子ももうすぐ1/2バースデー
「誕生日は年に1回だけじゃんよ…(-""-;)」と、内心思ってるだろう[記念日増やすの否定派]筆頭の相方の尻を叩いて(笑)記念のお出かけしようと思ってます
自分もマメな質ではないので細かい記念日は作らない派ですが、わが子に関してはなぜかなんでもかんでも記念日にしたくなる(笑)
初めての笑顔、初めておもちゃに興味を持った、初寝返り……
上げたらキリがありません。
不妊治療中や流産でメンタルどん底にいた頃は、こんな風な日が来るなんて考えられなかったです。
今でも、わが子を抱いているときでさえも、ふっと前触れなく、治療中に抱えていた黒い感情を思い出す時があります。
妊婦さんや小さな子を抱えているお母さんへの、黒い黒い嫉妬と羨望、何故自分はああなれないのかという疑問と答えの出ない虚無感…
そういった黒い心もその時抱えていた虚無感も、今となっては苦しくも大事な思い出と、ようやく言えるようになってきました。
なんだかんだ言っても、あのツラく出口の見えなかった期間は自分にとって必要なプロセスだったんだろうなぁ、と。
だから今正に不妊治療などの終わりの見えないものを頑張っている皆様にとっても、しんどいだけじゃなくて自身が何かを得るための大事な過程なんだ、と伝えたく思います。
なんだか上から目線で恐縮ですが、心穏やかに不妊治療に挑めますように…
注射
こんばんは、お天気あめでございます。
今日はこどもの予防接種の日でした
刺されて2秒後ぐらいに泣くものの、すぐに泣き止むし注射射った看護師さんにビビらないんだからうちの子あんまり引きずらない性格なんだろうなぁ(。-∀-)良いことだ。
こどもはそんな感じですが、親である自分は何を隠そう注射大っっっっっ嫌いな子どもでした
エビになり鯛になり鳩や状態で暴れ回り、押さえる側も汗だくの有り様だったそうな…。
大人になってからももちろん大嫌いです
採血だって点滴だって見るのも嫌です
不妊治療でも、時期によっては自宅で自己注射が必要な時があり(しかも2本とか…)、注射の指導をしてくれた看護師さんが心配するくらいに挙動不審になってしまい「相方さんに射ってもらっては…?」と言われましたが、医療従事者でもなんでもない人に射たれる方がよっぽど嫌だったので
根性で自分で射ちました
自分で射つなんて経験のせいか、今は多少マシになりましたが
献血に自ら行けるようになれるのは、おそらく来世でしょうかね…
ドッキリ
こんにちは、お天気あめでございます。
こどもの頃はドッキリ番組大好きでした
現在はエグいドッキリを仕掛けられた芸人さんに同情してしまうようになり、こどもの頃のようには楽しめなくなりましたが基本好きです
イタズラも好きです
けど蚤どころかミジンコの心臓(豆腐製)なので
実際に仕掛けた事はありません(^-^ゞ
そんな自分ですが人生最大のドッキリ、というよりサプライズを受けた事はあります。
相方からのプロポーズというかたちで(///ω///)
相方にとっても人生でいちばん壮大な仕掛けだったでしょうねぇ
交際半年の初旅行にさりげな~く誘い
(この時点ではあと半年後くらいにプロポーズかな?とか予想してた)
さりげな~くプロポーズ会場予定の教会を行き先に紛れ込ませ
エンゲージリングを教会のスタッフにこっそ~り渡して会場を整えてもらい(まったく気付かなかった自分、チョロすぎ)
相方の思惑にさっっぱり気付かず(ある意味安心?)観光気分でちょこまかする自分を予約時間までに会場にさりげなく誘導しようと焦りまくりつつ(じゃっかん機嫌悪かった、あれは緊張もあったからなんだろうなぁ)
満を持してのプロポーズ、パカッ(✨💍✨)
自分(・д・ = ・д・)「………え、ドッキリ??」
相方(; ̄ー ̄ (苦笑いで硬直)
だってそんなロマンチックな仕掛けするタイプの人とは思わなかったんです(´・ω・`)
状況理解して返事するまで3分は固まってました、自分
そんなこんなを経て夫婦やってますが
こないだ久々にその時貰ったエンゲージリングをはめようとしたら
第二関節のあたりからすすまなくなった事が
ある意味いちばんドキッΣ(;`∀´)ときた瞬間かもしれません…
大人…?
お題「おとなになったら」
こんばんは、お天気あめでございます
こどものころ、実は大人がなんなのか、大人の定義とは?と考えた事もなくボーっと生きて成人の日を迎えました
なんなら成人したころは単に「酒・煙草合法化ウェーイ(°▽°)」ぐらいにしか考えてなかったです
どっちも体質に合わないと判明し、「じゃあ大人になるって何?」と考えるきっかけになりましたが。
いまだにはっきり答えは出せていないですが
こどもに「おとなってなに?」とチコちゃんばりに聞かれたら言葉に詰まること確定ですが
唯一、自分で「おとなになったんだなぁ」と思った事といえば
雪が降るのを素直に喜べなくなった事、ですね
なんせ住まいは田舎で車移動がメイン
雪が降ろうがなんなら台風直撃だろうが仕事は休めるもんじゃない
雪降ったらテンション上がるけど
雪道走行は勘弁!!(# ゜Д゜)
っとごく自然と考えるようになり
「子どものころは雪ってだけでただ楽しかったのに」と、自身の考え方の変化に気付いてしんみりしたものです。
燕
こんにちは、お天気あめでございます。
さっそく更新サボりました( ; ゜Д゜)
習慣付けるのは難しいですね。
気がつけばツバメが子育てをはじめる時期になりましたね
YouTubeのツバメ定点観測チャンネルを視聴するようになって早数年
最初のころは純粋にツバメの雛ちゃんズを応援してました(°▽°)
不妊治療中は「ツバメは良いなぁ、すぐ卵産めて…」っとツバメ相手に嫉妬してました( ´△`)
今はわが子にミルクあげながらツバメといっしょに子育て(*´-`)
ツバメに嫉妬してたころは、ただただ不安でした
自分が自然から外れた生きものになってるみたいで
不妊だから生きもの失格みたいに考えてさらに自分に追い込みかけてました。
もちろん、そんなことないです
なんならその考えでいったら自分ではなく愛する相方や、頑張って不妊治療を続けている方達に生きもの失格のペケ押してますもん
ようやく穏やかな気持ちでツバメの子育てを応援出来るようになれて自分を振り返れるようになったけど
そんな今になっても不妊治療中の方やあの頃の自分に対してなんて言ったらいいかわからないけれど
お天気あめは、不妊治療のしんどさ全般は理解できるつもりです
今も頑張ってる人からしたら上から目線に感じるかもしれないけれど
治療頑張ってる方がた、お疲れ様です
自分に問題があろうとなかろうと、あんまり自分を責めないで下さい
雨の日もあれば晴れの日もあるのだから。
ああ不妊治療
ああ不妊治療~8年、1000万費やしたアラフォー漫画家の体当たりコミックエッセイ~
榎本由美
唐突な紹介(笑)
こんにちは
お天気あめでございます。
昨日のつづきに近いです
人生に影響を与えた本。
これを読んだのは
新婚半年くらいだったころ
ちょうどべびさんに触れあう機会が増えて、「結婚2年くらいは夫婦だけで」なんて考えてた自分に妊娠願望が芽ばえたころでした
(*^^*)「不測の事態ってもんがあるかもだし」
と、軽く勉強のつもりで読んでみただけ
よもやよもやその半年後に本当にやることになるとは思ってなかった(笑)
不思議なもんで、この本が電子書籍サイトのあなたへのオススメにあがってきたときはまだ"妊娠"で検索をかけたこともなく、この出版社さんの本を読んだ事もなく
ほんとーに不意にオススメにあがってきたから、ラインナップの中で異彩をはなつこと放つこと(笑)
例えるならゴリゴリの成人向け書架に突っ込まれたほんわか0歳児向け絵本をみつけた時のような違和感(笑)
とは言えこの作品で予習していたことでなんとなく心構えが出来ており、
(;・ω・)「あーこの行程、マンガで読んだやつ」
と、実際の治療中に呑気に考えてるくらいには余裕を持ててました。
新しい事にためらいがちなビビりの自分が不妊治療に踏み切るのに大事な行程だったなぁと今なら思います。
本
お題「人生を変えたと言える映画や本ってありますか? あればそのエピソード等教えてください」
こんにちは
お天気あめでございます。
今回のお題の趣旨に沿うか、ちと微妙なエピではございますが…
自分にとっては人生の曲がり角になった作品です。
クリストファー・パオリーニ著
ドラゴンライダーシリーズ
エルデスト上/下
"エラゴン"という映画の原作シリーズの第二部で、ドラゴンと少年"エラゴン"が絆を深め合い成長しつつ権力者の圧政から民を救う希望となっていく冒険物語
図書館での第一印象は「辞書?」でした(笑)
ボリューム満点の超長大作です。
読んだ当時、むさぼるように本を読み漁っていた時期だったのですが内容・ストーリーはちゃんと記憶していても、なんというか表面的にしか受け取っておらず…
読んだ本の内容のインプットはしていても、その内容を自分で解析して考察するというアウトプットの概念がまだ未発達だったんですよね。
けれどこの作品を読んでいる途中に突然
作者は何を考えてこのシーンを作ったのか
ひょっとしてこう考えてたからこのキャラはこんなことを言っているのか
つまり作者はこういう考えの人なのかな
こんなことを考えながら読んだりふと思い出して自分の考えを整理して読み返したりするようになったんです。
今まではただ物語を読んでいただけ、今はその作者が自分に"本を通して語りかけてきてる"のがわかる!
と、実感した瞬間、視界と世界が広くなった気がしました。ものすごい衝撃。それまで出来なかった逆上がりが始めて出来た瞬間にも似た解放感。
あと、国語の授業ってこれを出来るようにするための訓練だったんですね(笑)とも。
それまでの感覚のみで情報を得ながら生きてきた日常を、客観的な視点からも情報をプラスして生活するようになったきっかけは間違いなくこの本でした。